2014年12月3日水曜日

創作の学術的な話

 ブログの最初の方で、卒業論文の中身を纏めた画像を貼っているのですが、それを以下に修正しました。


 最初に掲載した物よりも、ちょっと分かりにくく成りました。
 理由は、内容をバフチン寄りに修正した為です。特に「結ぶ」という言葉がそうでしょうか。統括よりもすっきりしていますし、遣っていることをちゃんと表しているように思えます。
 元々私の考えは7、8割バフチンの論と同じなのですが、卒業論文を書いていた当時に読まなかったので、変な言葉を使う羽目に成ったのですよね。

 あと、大きな変更は、「時空間」と「幻影」ですね。
 「時空間」は文字通りです。物理学等は門外漢なので、概ね一般的なイメージに則っています。違うとすれば、歴史や社会等も含む所です。
 「幻影」は単純に、登場人物は飽く迄も記号的で、どんなに現実的に、リアリティに、リアルの在るように、生々しく書かれていても実体を伴わない、しかしその存在の気配は感じ取れる存在との意味合いで、この言葉にしました。結構気に入っています。

 「時空間」で歴史や社会等も含むとしていますが、この中で「幻影」が生活を営めば何となく社会は出来ますでしょうし、また時間が経過するのですから歴史が生み出されます。この説明だと「幻影」に依存していますが、実際作者が作品世界を作る際には、予めある程度の社会が形成されていて、歴史が在る状態で作りますから、「時空間」に含むのが妥当だと思います。

 それと、本当は作品の背景に作品世界が存在しているようにしたかったのですが、私の力不足で上図のように成りました。ですから、作品の上に作品世界が在る、ではなくて、作品の背景に作品世界が在る、です。お間違いの無いように。

 解釈行為過程ですが、他の偉大な方々が居りますから、そちらを参照して下さい。
 矢印が明後日の方向に向いているのは、テクストに読者の常識なり思想なり色々な物が入り込んで作品が変質するからです。作品は作品世界の全てを表している訳ではないので、明明後日の方向に成ります。



 本当はこの図を恩師に見せて喧々囂々遣りたかったのですが、悲しいかな時間がありませんでしたので、お流れに。
 まあ、『幻影少女ノ世界』を頑張って書いて作品にすればチャンスは在るかも知れませんけれどね。そうは問屋が卸さない。

 そもそもこれを元に小説を書くということ自体が奇妙奇天烈なことですので、日の目を見ることは無いと書いている途中にも拘わらず思って仕舞います。それでも書かないといけないのは、強迫観念からでしょうか。とは言え、結構真面な作品に成りそうです。