2013年9月12日木曜日

テーマの件

○前置き
 テーマについて少々考えたことをここに記す。


○テーマ
 テーマ、と呼ばれるものは主題等々と訳されるものであるが、果たして創作においてどのようなものであるのだろうか。それを考えた時、以下の推論に至った。
 今、誰かが小説を書こうとしている。その時、その誰かは人間が長年抱えている社会的問題をテーマとして書くことを決める――社会的問題でなくて哲学でも政治でも良い。そして誰かは作品世界を作ってゆき、それを見て作品を書く。
 以上の場合において、テーマを考えた時、どのような問題が生じるかと言えば、
  1. 作者が持ったテーマによって作品世界が歪められる。
  2. 最初に抱いたテーマが歪められる。
の2つであると考えられる。
 まず、1つ目について、作品世界は作者の抱いたテーマのみによって覆われているのではないと推測出来る。これは現実世界においても、平時、戦時を問わず、例えば軍国主義の一色に染まるのは非現実的だと考えられるからであるが、戦時という特殊条件下においても主義主張は様々であり、また同じ主義の下でも主張の違いは大なり小なり考えられ得る。勿論、強制があるのだとすれば、表面では一色に統一されるだろうが、しかしそれはあくまでも表面上である。
 作品世界というものに関して、それこそその世界の住人達は十人十色である上に、多様の物語が存在しているのだから、作者の抱いたテーマ一色に染まることは無いと考えられる。この反論として、あるテーマ一色に染まる作品世界ならばどうか、というものが考えられるが、先に述べたように、表面では同じに見えても、より細かに見ていくならば差異が見えてくるのである。
 すると、作者の抱いたテーマによって作品世界を見ていくならば、それは作品世界を歪めていくことになるのではないか。例えば、作者が戦争の悲惨さをテーマに設定したとしよう。確かに戦争では戦闘によって多数の死者が死に、場合によっては虐殺等々の行為もなされる。しかし、戦争はそれが全てかと言えば違うのであり、戦闘が無い時には、兵士は陽気に歌い踊り楽しく過ごすこともある。では、作者がその状況を見た時、どのように反応するか。テーマに従えば、作者はそれを作品に書かず、無かったものとして処理するかもしれない。あるいは、それを含めて全体として悲惨であると作品に書くかもしれない。その結果、前者であれば悲惨さしか無いとして作品世界が歪められ、後者であれば楽しさの上に悲惨さが塗られる形で作品世界が歪められる。
 次に2つ目であるが、上の、あるいはそれを含めて全体として悲惨である、の部分から判断出来る。最初、作者は戦争の悲惨さをテーマにしたが、作品世界を見る途中で戦時の合間の安らかなひと時を発見してしまった。最終的にそれを含めて悲惨さと書いたが、ここに最初のテーマとの差異があることは容易に想像出来る。最初の悲惨さには、安らかなひと時は含まれていなかったのであって、それを含めた時点で最初のテーマと異なったものになっている。
 また、テーマに合致するように作品世界の出来事を切り取ったとしても、テーマが歪められる。何故ならば、書く前に抱いたテーマはあくまでも作者が抱いたテーマであり、いくらそれに合致する出来事を選択したとしても、選択されたそれらは作品世界においてのテーマである。つまり、最初に抱いたテーマの中に作品世界が入り込んでいるのである。
 以上において、1つ目と2つ目の考察を行ったが、ではこれらが起きた作品はどのようになるのか。以上の考察からは、作者のテーマでもあり作品世界のテーマでもあると考えられるテーマが――この表記は些か奇妙ではあるが――作品に書かれるとなる。当然ながら、そのテーマがどちらかの色が強く出ることはあり得るが、それでもどちらか一方に染まることは無い。


○後書き
 テーマに関して大まかに以上のことが指摘出来るだろうが、一切の参考文献を使わず思考実験のみである為に、論としては弱いかもしれない。
 そして、テーマに関するこの指摘が実際の創作においてどのように活用され得るかについても、まだ明確には出来ない。